米国の対応
エミシの隠れ里に住む少年アシタカは、村を襲った「タタリガミ」にかけられた呪いを解くために、遠く西方の地を目指して旅立つ。そこで彼が見たものは、森を破壊しながら必死に生きるタタラ製鉄集団と、森を守る獣たち、そして獣として生きる少女サンであった。やがて、森を守ろうとする森の獣たちと、獣たちの長である「シシ神」を殺そうとする人間たちの壮絶な戦いが始まる。 興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。2007年現在も、千と千尋の神隠し(1位)・ハウルの動く城(2位)・もののけ姫(3位)と、日本国内の興行収入歴代記録第3位を維持している。洋画を含めても第4位である。 主題歌『もののけ姫』のCDシングルとサウンドトラックは合計で110万枚以上[2]、フィルムコミックは4巻計で180万部以上[2]、『THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫』は定価2800円ながら10万部近く[2]を売り上げた。日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本。 これまで宮崎駿の監督した長編アニメは、おおよそ5万 - 7万枚ほどの作画枚数で製作されてきたが、本作では14万枚以上もの枚数が使用された。宮崎は「ジブリを使いつぶす」ほどの覚悟で桁外れの労力と物量を本作に投入したというが、以降の『千と千尋の神隠し』(約11.2万枚)や『ハウルの動く城』(約14.8万枚)、『崖の上のポニョ』(約17万枚)にもほぼ同規模かそれ以上の枚数であり、スタジオジブリの製作体制そのものを刷新した。 スタジオジブリ最後のセル画と絵の具を使った作品となった。この作品でもサンの顔に付いた血糊やデイダラボッチを3DCGで作った他画面の多重合成も行われ、製作スケジュールの追い込みでデジタル彩色も一部使用されていたが、以降のジブリ作品は線画をコンピュータに取り込み、デジタル彩色の手法を用いるフルデジタル処理で製作されるようになった。 本作における世界観は、照葉樹林文化論の示唆を受けている。農業以外を生業とする庶民を描く日本の外国為替 観は、歴史学者の網野善彦の影響であると言われる。製作にあたりタタラ製鉄のメッカ、島根県に取材し和鋼博物館などを訪問している。この作品については、網野自身も自著において「ずいぶん勉強した上でつくられている」と高く評価する[4]。 男鹿和雄が主人公アシタカが住むエミシの村を描くために1995年に白神山地の取材に訪れている。 青森県の鰺ヶ沢町、津軽峠、天狗峠、一ツ森町などを歩き回り、写真を撮り、絵を描を、その時のイメージを作品にちりばめている。 完成までには糸井と鈴木敏夫プロデューサーの間で激しいやり取りがあった。没になったコピー案は50本近くあったという。主な候補は「おそろしいか、愛しいか。」「だいじなものは、ありますか。」「おまえは、まぶしい。」「昔々は、今の今。」「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」「死ぬなっ。」などがある。 『桃太郎 海の神兵』(ももたろう うみのしんぺい)は、日本の海軍省より国策アニメ映画製作の命を受け1944年に松竹動画研究部によって製作され、戦時下の1945年4月12日に公開された国産長編アニメ(白黒、74分)でフィルムは9巻。 概要 日本初の長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』(1943年)の姉妹編である。南方戦線のセレベス島・メナドへの日本海軍の奇襲作戦を題材に海軍陸戦隊落下傘部隊の活躍を描き、当時の日本政府の大義であった「八紘一宇」と「アジア解放」を主題にした大作。当時の国産アニメとしては74分という長編作品であり、当時の日本政府、海軍より270,000円という巨費と100名近い人員を投じて制作されたという。落下傘部隊のシーンは実際の動きを細かく分析、透過光などの特殊効果も用いられた。 ミュージカル仕立てのFX があり、これは監督である瀬尾光世が、1940年にアメリカで公開されたディズニーの長編アニメーション映画『ファンタジア』(日本軍が戦地で没収したフィルムを、海軍省を通じて見る機会を得た。日本での公開は戦後になってから)を参考とし、たとえ戦意高揚が目的であっても、ファンタジアのように子供たちに夢や希望を与えるような作品にしようとしたことや、姉妹編である『桃太郎の海鷲』と同様に平和への願いを作品中に暗示させたことが大きく影響している。 製作時は戦況が非常に悪化しており、スタッフが次々と召集されて減っていた。そのうえ、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で、一時は公開も危ぶまれたという。また物資不足も深刻で、製作に必要な資材は潤沢な調達がままならず、質の悪いザラ紙の動画用紙は、撮影が終わると消して新たな動画を描き、セルも絵具を落として再使用するなど大変劣悪な制作環境のもと、昭和19年12月に完成。なんとか公開にまでこぎ着けたと瀬尾は語っている。 松竹動画研究部の制作スタジオは東京・銀座の歌舞伎座隣のビルに設けられ、ひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従するという、今日では考えられないような贅沢な作画体制がとられた(作画スタッフ、木村一郎の談話より)。 封切の初日、大阪帝大附属医学専門部の学生であった手塚治虫は、勤労動員の休日に大阪松竹座でこの作品を観た。外為 は当時、海軍の意図した戦意高揚の演出中に隠された希望や平和への願いを解し、甚く感動し涙を流したと後に語っている。また手塚はテレビアニメ『ジャングル大帝』で、動物たちに言葉を教える「アイウエオの歌」で、この作品の1シーンをオマージュにしていることで有名。 敗戦後、フィルムはGHQにより戦意喪失目的で没収・焼却されたと思われていたが、1984年に松竹の倉庫でネガが発見され再び陽の目を見た。新たに作られた上映用プリントは、国立近代美術館フィルムセンターで監督の瀬尾光世を招いて上映され、その後「くもとちゅうりっぷ」との二本立てで、松竹系映画館などで一般公開された。 オリジナルの全長版では、終盤占領後のシーンで、ポパイやブルートなどアメリカ製漫画映画のキャラクターにそっくりな敵兵が登場するが、一般公開時のプリントではカットされている。現在はくもとちゅうりっぷと同時収録のビデオが松竹から発売されている。 15年前、北大西洋の海上で貨物船・第一八代丸が氷山に激突して沈没する事故が発生。沖田船長と三等航海士の2人が死亡した。 そして3ヶ月前、八代造船の船舶設計士・八代英人が車を運転中に心臓発作を起こし、車ごと崖下に転落して死亡した。 時を越えた2つの事件は、豪華客船の乗員乗客すべてを巻き込む巨大な陰謀の序章だった。 園子の計らいで、豪華客船「アフロディーテ号」の処女航海に招待されたコナンたち。一行はおおいにクルーズを楽しんでいた。 ひょんなことから、船内でかくれんぼをすることになった一行。しかし、かくれんぼの最中に園子が何者かに拉致・監禁されてしまう。 コナンの推理によって無事に助け出される園子。しかし今度は、八代造船の社長・八代貴江が何者かに刺殺され、会長の八代延太郎も行方不明になってしまう。目暮警部らが到着して捜査が始まるが、容疑者は乗員乗客総勢600名。捜査の難航は必至だった。 一方、佐藤刑事らは八代英人の事故死に不審を抱き、再捜査していた。彼女はシートベルトの金具に残っている不審な痕跡に注目する。 捜査を続けるコナン達は、延太郎がマリーナのハッチから海に突き落とされた可能性が高いことを突き止める。それからほどなくして、海上保安庁によって海に漂う延太郎の遺体が発見された。 一方で小五郎は、コナンとも警察とも別の、独自の捜査を展開していた。 捜査を続け事件の真相をつかんだコナンは、ウェルカムパーティーの席で阿笠博士の声を借りて推理ショーを展開。犯人を名指し、アリバイトリックを崩し、証拠を掲示する。だが犯人は、機関室に仕掛けておいた爆弾を爆発させ、その混乱に乗じて逃走を図る。 コナンと探偵団の追跡により無事に犯人は捕まるが、アフロディーテ号では次々と爆発が起こり、船は沈没の危機にさらされ、蘭が船に取り残されてしまう。さらに、事件は解決しているかに見えたが、その裏にはもう一人の犯人による更なる陰謀が隠されていた。アフロディーテ号に残り、もう一人の犯人と対峙する小五郎。その犯人の存在に気づき船に向かうコナン。果たして二人の探偵は、事件を解決し蘭を救うことができるのか!?